モノも知識も使わないとダメになる? – 出し惜しみはしない

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大学、短大でビジネス系の授業を担当していますが、経営や会社に関する法律を参照するときがあります。そんな時に気が付くのは、法律って改正されて変わっていくということ。これはこれで当たり前なのですが、例えば、数学とかの定理・公式が変わることってほぼないですよね?

その分野だと新しい定理や公式が出てきても、それが積み重なっていくイメージですし、その公式古いよね?ってはなりません。一方で、法律やビジネスの世界だと、「その考え方、その時は通用したけど、今はもう古いよね」とか、「何年か前に改正されて、その法律はもうないんだよ」みたいなことが多々あります。

 

実は自分自身の授業でも、改正された法律をわかっていたのに、つい古い知識で話してしまって、話してから、「ごめん、それは今は違っててね、、、」と訂正したことも何度かあります。頭が固くなっているってことですよね。我ながら歳をとったな、、とか、時代に取り残されるってこういう感じになっていくのかな?と考えてしまいます。

 

モノも知識も使ってこそ

全く話は変わりますが、お気に入りのものって大事にしまっておくということを誰しもやっているのではないかと思うのですが、お気に入りの洋服や大事にしているものをしまっておいて、長らく使わずに、久しぶりに見たら、ダメになっていた(洋服だったら古臭くなってた?)みたいなことって誰しも経験あるのではないかと思います。

機械もそうで、久しぶりにエンジンをかけた、電源を入れた。そしたら動かない!なんてことも多々あります。

モノって大事なもの、気に入っているものほど、使ってその価値を享受してナンボなのかな、、、とそんなことを改めて感じました。(コレクションしていることそのものに価値を見出している場合は別ですが・・・)

 

そして、知識も – 「実践へ、行動へ、そして継続」

冒頭に述べた法律の改正や、ビジネスのトレンドもそうですが、そういう学習した知識って使って初めて価値が出てくるのかと思います(価値の定義にもよりますが)。

そうしないと、いつの間にか使えない知識になっていた、、、ということも。

大学での授業はPBLやアクティブラーニングの一環で企業と連携したり、社会活動、社会実践をする授業を担当することが多いですが、このような授業を学校でする意味もそこにあるのかと思ったりします。

学習した知識をしまったままにせず、使ってみる。使うことで、その価値や意味も見えてくる。

これをどう評価するかというのは非常に難しいですが、実践をすることの意味はそこにありそうですし、実践者が取り上げられて注目されるのも「行動」あるからこそなのでしょうね。

最近、コロナ禍で引きこもりがちでしたので、オンラインでもいいので、何らかの実践活動をしないといけないと思った次第。そして、継続し続ける、つまり使い続けることで常に新しい状態でいることができるのだと再認識しました。

 

私は一応、実務家教員でした…

実践しないと…

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