大学ノートって使ってますか?
自分が子供のころを振り返ると、小学校まで使っていたマス目の大きなノートから、中学校に入って、横線だけの細かいノートに替わった時に、なんとなく自分が大人になったような、賢くなったような、そんなワクワク感があったものです。
でも、今の学生さんたちはどうでしょうか。そもそもノートをとるという習慣があるでしょうか。 そんなことをふと思って書いてみました。
社会人になっても仕事でノートをつける習慣を
先日、福井県池田町で開催された農村力デザイン大学に参加してきました。
テーマは「仕事をつくる。暮らしをつくる。」
全3日間の日程で私は仕事の都合もあり、後半2日の参加。
新日鉄ソリューションズの人事部長である中澤二郎さんの大企業における人材育成の話は、ビジネス等にかかわっている人間の一人として非常に参考になることが多かったです。マネジメント、部下との付き合いの中で、最終日のセッション・質疑応答で出てきた話の中に、「一人ひとりノートを作る」ということをおっしゃっていて、なるほどな、と納得しました。
学習ポートフォリオと振り返りを促すためのノートの存在
実は今、大学の授業でMaharaという仕組みを学習eポートフォリオとして利用しています。 何度かブログにも書いているのですが、Maharaは自分の学習を蓄積し、振り返りを実施しましょう、という仕組みを電子的に実現したもの。自由度が高いので、その利用の仕方は、先生方または学生それぞれで様々なのですが、やっていることを一言で説明するなら「しっかりとノートをとって、それらを振り返りましょう」ということだと思います。
ノートを取るということは、単に教員・講師が板書した内容をメモするだけではありません。 自分で必要と思う事柄を取捨選択し、自分の考えで整理をし、必要なことは自分の言葉で埋めていく。これが出来てノートだと思うのです。
学習はそういう試行錯誤の中から生まれてくるものであり、それが楽しいと思えれば学習は楽しくなるのだと。他人の書いたノートをいくら眺めていても、そこから新しい学びは出てこないと思うのです。
月曜日には、仁愛女子短期大学の卒業研究発表を聞きに行きましたが、ここでもノートの取り方と記憶に関する研究発表があり、改めてノートをとることの重要さを再確認。(仁愛短大ではMaharaの利用率が高い!)
いまどきの学生はノートをとらない?:その原因は?
ノートということでふと気がついたのは、最近の大学生はノートをとらないということ。 教員の方も親切に授業の要点をプリントにして配布してしまうので、学生も配布されたプリントに書き込むということで「ノートをとる」を代用してしまっています。また、最近は板書の替わりにパワーポイントで板書を映し出す授業も多いので、そのスライドを印刷して配布というパターンも。
私も大学の授業ではパワーポイントを多様しています。
板書する時間を減らして効率的に授業展開できるのと、提示したいタイミングで提示したいポイントを出すことができるので重宝しています。しかし、スライドは印刷して配布していないので、よく学生から、「パワーポイントのスライドをください(または、印刷してください)」、というリクエストをもらいます。
私は優しくないので、「授業中にちゃんとメモしてくださいね」と、配布することは一切していないのですが(もしくは、配布しても目次しか書かれていないペーパーのみ)、ノートは配布されるものだということに慣れてしまっている学生達の状況はそういうところからも理解できます。
ただ、これは、大学の問題ではなく、おそらく、初等教育、中等教育(小学校、中学校、高校)にまでさかのぼるのではないかと想像するわけです。
ノートをとる、そしてそれらを振り返るということを実感してもらい、少しでも学習効果を高めたいと思い、一部の授業でMaharaをポートフォリオとして利用していますが、試行錯誤はまだまだ続きそうです。
大学ノートはいつまで大学ノート?
ところで、冒頭でも触れた、中学校から使いだす「大学ノート」という誰もが知っているあのノート。 もともとは大学生が使っていたから「大学ノート」なのだと思いますが、授業中に開いている学生の数の少ないこと。。。大学ノートはいずれ大学ノートでなくなる日も遠くない、そんな気がしてきました。