無添加、無着色のジャムから見える私たちの味覚

先日、福野さん&nap@さんが我が家に遊びに来てくれた際に、nap@さんから「いちごジャム」を頂きました。
自宅でとれたイチゴを使って自家製とのこと。もちろん、無添加、無着色、無砂糖です。我が家でも、昔、イチゴが大量に取れた時は、煮詰めてジャムにしていたのを思い出しました。
普段、スーパーなどで見かけるジャムは、イチゴ以外に様々な成分が入っています。主なものは「ゲル化剤」や「ぶどう糖」、「酸味料」など。これらの成分が最終的なジャムにどのような影響を与えているかは、専門家でないのでよくわかりませんが、実際に食べ比べてみると、その差は歴然。
なにも加えずに煮詰めただけのジャムの方が格段においしいのです。もちろん、味の感覚は人それぞれ。ですが、我が家では圧倒的に(というか100%で)手作りジャムに軍配があがりました。
ずいぶん昔に、「なにも足さない、なにも引かない」というサントリーウイスキーのCMがありましたが、まさにこのジャムはその状態。余計なものが入っていないので、素材(イチゴ)の味が際立ち、何も取り除いていないので、物足りなさもないイチゴそのものの味を堪能できるのでしょうね。
「おいしい」の味覚が日本全国同じであることの違和感
最近、食やライフスタイルのことを考えて、福井県池田町の農村力デザイン大学の活動に参加していますが、そこでも毎回議論になるのが食の大切さ。ここには味覚というものの大切さも含まれていて、我々の味覚そのものが統一企画の「味」になれてしまっていることの一種の危機感もあったりします。
様々な食品の「うまみ」を増強するために、いわゆる「アミノ酸」が添加物としてありとあらゆる食品に加えられているのですが、その「うまみ」が人の感じる「うまみ」を統一してしまっているのではないか。うま味が統一されてしまうことで、人が感じる「おいしい」という味覚も統一され、味の深みや個性、もっと言うと、地域性などが急速に喪失しているのではないか。ひいては、ありのまま、自然のままの食品を食べた時に、「新鮮!おいしい!」と感じることがなくなってしまうのではないか。そんなことをふと考えたりします。
そう思うと、「ありのまま」であることは本当に貴重になってしまったのだと、いただいた「ジャム」を見ていていろいろ考えてしまいました。
「いちごジャム」ご紹介頂きまして光栄です。
田舎育ちの私には、新鮮な水、米、野菜が手に入ることがそう難しいこととは感じませんが、恵まれた環境、また本当に美味しいもの、まずいものを感じれる舌や味覚を財産に感じます。
「ありのまま」であることっていつからこんなに難しいことなったのでしょうか。古き良きライフスタイルを見直す時期が来たのかも知れません。
極端な例を言えば、「いちご味」ではなく「いちご味の味」しか知らない子どももいるのかも知れませんね。
味覚が優れている、と提唱される日本人にとって、これほど悲しいことはありません。
私も負けないくらい田舎育ちなので共感します。
>極端な例を言えば、「いちご味」ではなく
>「いちご味の味」しか知らない子ど
オリジナルの味よりも加工品で先にその味を知る時代になっているということですね。これからの食も含めたライフスタイルはどうなっていくのでしょうね。